頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2001年10月

狂牛病について

一昨日、独り言に登場しているオナカ君が職場にやってきた。
「おお、オナカやないか。読んだか?」
「あ、何を?」
「独り言」
「独り言ちゃ何か?」
「読んでないんか?せっかくメッセージ書いとったのに」
「お前またくだらんこと書いとったんやろう」
ということで、オナカ君は独り言の件で来たのではなかった。

オナカ君はビニール袋を差し出し、「これ、お前にやる」と言った。
中を見てみると、一冊の本と二本のビデオテープが入っていた。
一冊の本というのは、「狂牛病パニック」という狂牛病についての本だった。
「なんかこれ?」
「狂牛病のことを日記に書いたらいいと思って」
何?読書感想文を書けとな!?
ぼくに読書感想文を書かせるとは、オナカ君もいい根性しとるのう。

自慢ではないが、生まれてこの方、ぼくは読書感想文を書いたことがない。
読書感想文の宿題などが出ても、ぼくが書いていたのは「あらすじ」だった。
初めて読書感想文を書けと言われた時に、先生が読書感想文の説明をしていた。
しかし、ぼくはその説明を聞いてなかった。
隣の席のやつに「読書感想文ちゃなんか?」と聞くと、「あらすじのことたい」とそいつは自信たっぷりに答えた。
「そうか、それなら簡単!」と、あらすじをしっかり書いて提出した。
ところが、感想文の発表を聞いて愕然とした。
みんな「○○さんの勇気ある行動に感動しました」とか、「ぼくならこういう時どうするだろうか、と考えさせられました」などと書いている。
「これ、あらすじやないやないか!」
結局、その時あらすじを書いていたのは、ぼくと隣の席のやつの二人だけだった。
あとで他の人に聞いてみると、先生はあの時「決してあらすじを書くことのないように」と言っていたらしい。

このことがあって、ぼくは読書感想文が大の苦手になった。
読書感想文を書けと言われたら、まずあらすじを長々と書いて、最後に「大変感動したので、もう一度読みたいと思います」で締めくくるようになった。
そのうち、読書感想文の宿題は一切提出しないようになった。
高校の時も、読書感想文を書かなかったために、危うく追試を受けそうになったことがある。
しかし、どういうわけか古文・漢文がよかったので救われた。
古文・漢文に読書感想文なんてないもんね。

それにしても、もしあの時、先生の言うことをちゃんと聞いて、まともな読書感想文を書いていたら、おそらく今日の日記は「狂牛病とは・・・で、したがって・・・と思われるが、ぼくとしては・・・である」というような文章になっていただろう。

ところで、オナカ君のこの本を読んだ感想は、「狂牛病にかかった牛の肉を食べても大したことはない。気にするな!」だった。
別にぼくは気にしてはいない。



腰痛の話など

トップの更新などをしていて、日記のことを忘れていた。
ネタもないし、今日は3時間コースか?
今午後11時58分か、そういえばまだ晩ご飯食べてないんですよ。
仕事のせいで夕飯はいつも遅くなる(だいたい午後10時半から11時に食べ始める)が、今日は極端に遅い。
今日は休みだったのに。
今から飯食ったりしていると、日記更新は午前4時を過ぎるんじゃないのか?

何でこんなに遅くなったんだろう?
今日やったことといえば、トップの更新と、読書と、録り溜めしていたビデオ(今日まで再放送をやっていた“ショムニ”)を見たのと、昼寝ぐらいか。
ヤマダ電機と銀行に行こうと思っていたけど、結局行かなかったなあ。
外に出たのは車を移動しに行った時だけか。5分もかかってない。
結局今日は体を動かしてないということになる。

体を動かしてない翌日というのは、決まって腰痛に悩まされる。
ぼくの腰痛の歴史は長く、高校3年の時から続いている。
体育の時間によくソフトボールの試合をやっていた。
ぼくはいつもセンターを守っていたのだが、ある日フライを捕って内野に返球した時に「グキッ」ときた。
「亜ぎっくり腰」になってしまったのだ。
ぎっくり腰ではなかったので歩くことは出来たが、それがいけなかった。
それを完治させないまま、クラブ活動(柔道)をやったことから、ぼくの腰痛の歴史は始まった。
その後も、電器店に就職して「電器腰」というものにかかってしまった。
「電器腰」とはカラーテレビなど重たい物を持つことにより起こる腰痛で、一種の職業病である。
ただでさえよくない腰を酷使してしまい、完全に慢性化してしまった。
体を動かしても腰痛、休ませても腰痛、一体どうすればいいんだ!?

やっと夕飯が終わった。
そうか、腰痛の話だった。
パソコンの前に座っているのも、腰に対してはあまりいいことではない。
立った時、じじいのように腰が曲がってしまうのだ。
真っ直ぐ伸びるまでに時間がかかる。
だからぼくは座っている時には、なるべく体を動かすようにしている。
最近は癖になっていて、気がついたら、上体を前後右左に揺さぶっている。
でも、これやると酔うんですね。
・・・・・・
ああ、晩酌の酒が回ってきてしまった。
ということで、今日はここまで。



一般常識音痴

ぼくはむかしから、みんなが当然知っているようなことを知らない。
つまり一般常識音痴である。
例えば色のこと。
「カーキ色」という色があるが、ぼくはこの色がどんな色であるかというのを知ったのは、つい最近のことである。
それまでは「柿色」のことと思っていた。
「ベージュ」、20歳の頃この色のシャツが欲しくて、Gパンセンターに買いに行ったことがある。
店員が「どういう色がお好みですか?」と尋ねたが、「ベージュ」という言葉を知らなかったので、しかたなく「錆びた白」と答えた。
「錆びた白? ああ、この色ですか?」とベージュのシャツを持ってきた。
「お、通用するやん」と思ったぼくは、「ベージュ」という言葉を知るまで、この色をずっと「錆びた色」と言っていた。
「コバルト色」、沢田研二の歌でしか知らない。
はじめてこの言葉を聞いた時、「鉄腕アトムの兄さんの色のことか?」と思い、どんな色か必死に考えていた。
「セピア色」、昨日の日記で使うまで、こういう色の名があることすら知らなかった。
たまたま、あるサイトを見ていたら、この言葉に出会った。
意味を調べてみてはじめて知った次第である。
で、使ってみた。

色だけではない。
横文字がまったくわからん。
本屋で本を探す時、たとえ好きなジャンル(このくらいはわかる)の本であっても、文中に外来語が多いと買わないことにしている。
「日本語で言えることを、なぜ外国語で言おうとするのか?この見栄っ張りが!」と著者を馬鹿にするが、要は自分が知らないのである。
前の会社に勤めていた時、本社からやたら外来語を使いたがる女性が来たことがある。
リニューアル(これもわかる)の打ち合わせのために来店したのだが、ぼくは彼女が何を言っているのかわからなかった。
質疑応答の際、彼女はぼくに「何か質問はありませんか?」と聞いてきた。
ぼくは「何を言うとるのかわからんので、日本語で言うてもらえんですか?」と言った。
彼女は「え!?」とぼくをさげずむような顔をした。
『こんな言葉ぐらい勉強しとけよ』とでも思っていたのだろう。
それ以来、さらに外来語に劣等感を抱くようになった。

その他にも、政治に疎い。法律に疎い。ファッションに疎い。ブランドに疎い。芸能人に疎い。歌に疎い。映画に疎い。ドラマに疎い。小説に疎い。車(種)に疎い。ギャンブルに疎い。ゲームに疎い。流行に疎い。・・・・。自分の興味あるもの以外は、すべて疎い。

「しろげしんたさん、じゃあ、あなたは何に興味あるんですか?」
「はい、日本史と、宗教と、中国と、韓国と、朝日新聞と、平和仮面と、人間観察と、ありの観察と、友だちの癖と、知り合いの真似と、“頑張る40代!”です」



輪廻転生を考える

昨日、うちのパートさんと話していてちょっと驚いたことがある。
そのパートさんの次女は、なんと生まれた時の記憶を持っているらしく、その時、その病院に、誰と誰がいたということを言い当てるというのだ。
前世の記憶を持っている人がいるということは聞いたことがあるが、生まれた時の記憶を持っているというのを聞いたのは初めてだ。
それを今でも覚えているとは、すごい記憶力である。たしか今高校生だったと思うが。

ところで、以前ここで前世の記憶を語ったことがあるが、ぼくは輪廻転生を信じている。
前世に働いていたと思われる工場の風景や、花街の風景の記憶が時折蘇ることがある。不思議とセピア色した記憶で、なんとなくかび臭い。
映画などで昔の看護婦の看護帽を見たり、赤十字のマークを見たりすると恐怖を感じるのも、前世の記憶だろう。

最近この輪廻転生について、「本当に未来に生まれ変わることなんだろうか?」と疑いを抱くようになった。
霊の世界には時間というものがないと聞くが、もしかしたら今の人生が終わったら、また同じ人となって同じ時代に生き直すのではないだろうか。(ぼくの例で言えば、平成○○年に死んで、また昭和32年に生まれるということだ)
つまり、何度も何度も同じ人生を繰り返させる、ということである。
何のためにそんなことをするのか?
その人を霊的に完成させるためである。
前の人生で経験した様々な出来事を、潜在意識の中に埋め込んで、また同じ人として同じ時代に送り出し、前の人生の修正をさせる。
こうして、一歩一歩、霊の完成に近づかせていく。

もしそうであれば、「運のいい人」の説明も簡単につく。
「運のいい人」というのは、何度も同じ世に生まれ変わり、前世を充分に記憶している人のことだ。
前世の失敗を把握しているので、今生では失敗の方向に進まない。
だから成功するのだ。
「ああ、この場面は前回失敗した場面だ。あの時はこちらに行って失敗したから、今回は逆に行ってみよう」と前回と逆の行動をとり成功に至る。
予知能力を持った人というのも、前世の記憶を持った人だということになる。
すでに体験した将来のことを語っているだけに過ぎない。
ということは、予知能力者は別に超能力者ではなく、ただ人並み以上に記憶力が優れている人ということになる。

しかし、そうだとしたら面白くないなあ。
ぼくは22世紀を体験できないことになる。
“しろげしんた”として、永遠に20世紀と21世紀を往ったり来たりするだけなんだから。
ああ、ドラえもんに会いたーい!



土曜日の怪奇現象

1、不思議な道
うちの店は午後8時に閉店するのだが、残務処理を終わらせて、店を出るのはだいたい午後8時20分頃だ。
通勤時間は車で約20分だから、午後8時40分には家に着く。
ここ数年、だいたいこのパターンである。
しかしこのごろ、おかしな現象が起こるようになった。
それは、土曜日になると決まって国道3号線の一区間が大渋滞するのである。
それはスペースワールドの前を過ぎたあたりから始まり、約1km先の桃園で終わる。
この1kmを通過するのに、10~20分を費やす。
最初の頃は「事故でもあったんだろうか?」などと思い気にもとめなかったが、毎週続けて渋滞するので「これはおかしい」と思うようになった。
「スペースワールドの影響か?」とも思った。
しかし、ぼくが帰る時間は、スペースワールドはもう閉館したあとなのだから、その線はありえない。
新日鉄の出退勤の時間でもない。
桃園にあるボーリング場に入る車(ぼくの帰る車線からは右折しないと入れないが、右折車線はない)の影響かとも思ったが、そうでもなさそうだ。
いったい何がどうなっているんだろう?
そこ(桃園)を越えると嘘みたいに車が減るのだ。
桃園では左折する車もあるのだが、そう多くはない。
いったいあれだけ渋滞していた車はどこに消えたんだろう?
不思議なことである。
今日、家に帰り着いたのは午後9時であった。

2、勝手に録画するビデオ
毎週土曜日、午後7時からテレ朝系で「これマジ!?」という番組をやっている。
いろいろな怪奇現象を紹介する番組である。
以前、ぼくはこの番組を毎週予約録画して見ていたのだが、最近は見る時間がないので、何週か前の特番を機に予約を取り消した。
ところがである。今日家に帰ってビデオをチェックしてみると、ちゃんと録画されていたのだ。
「えっ?」と思い予約一覧を見てみたが、やはりこの時間帯の予約はない。
「前のヤツか?」と思ったが、ちゃんと今日の「電波少年(東京で21日放送した分。日曜の午後10時30分はローカルバラエティをやっている関係上、こちらでの放送は同じ週の土曜日の午後5時から)」のあとに入っている。
こんなことは今までなかった。
何が、どうなっているんだろう・・・?

3、これマジ!?
しかたなく、「これマジ!?」を見てしまった。
UFOのコーナーがあったのだが、そこでUFOの実写ビデオを流していた。
「おお! これと同じ物を見たことがある!!」
今日のUFOの形は三角形をしていた。
ぼくが見たのも、それと同じ三角形だった。
光り方もいっしょだった。
「そうか、あいつらまだ地球にいたのか。お前達は誰だ?宇宙パトロール隊か?地球侵略隊か?まあ、そんなことはどうでもいい。ひとつ頼みがあるんだけど聞いてくれるか?そんな田舎でミステリーサークルを作らなくていいから、アフガニスタンをどうにかしてくれ!!」



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