頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2001年08月

今日8月31日は一年の中で一番嫌いな日

また8月31日がやってきた。
今日で夏休みが終わりである。
社会に出てからも、「7月21日から8月31日までは夏休み」という気分が心のどこかに残っている。
そのせいか、8月の終わりというのは何か寂しいものがある。
小学校に行っていた頃は、この寂しさから逃れるために「席変えもあるし、一ヶ月したら運動会、そのあとに遠足がある。11月には誕生日と起業祭(八幡の祭り。学校は休みになった)、それから一ヶ月すると楽しいクリスマスと冬休みじゃないか」と無理矢理楽しいことばかりを考えて、自分を慰めようとしていた。
しかし、いつも「一年の中で2学期というのが一番長いし、季節は刻々と大嫌いな冬に向かっている」という思いに至り、心を重くしていた。
中学・高校の頃は、上のイベントに加え文化祭が加わった。
それにその時期は好きな人がいて、「明日から毎日会える」と思うと気がまぎれたものだったが、「明日からゆっくり寝れん。それに冬がくる」と思うと、やはり気が重くなった。

冬休みや春休みの最終日はそんなに嫌でもなかった。
1月7日は「3学期は短いし、春が近い」という思いがあったし、春休みの終わりは「新学年への期待と、クラス換え、夏が近い」というのがあって逆に喜んでいた。
そう考えると、今日8月31日が一年の中で一番嫌いな日ということになる。
上に書いたように、「夏休みの最終日」「2学期が嫌い」というのが原因であるが、最大の原因は、そんな余計なことを考えながら大量に残った夏休みの宿題をやらなければならないということにあった。
最初の2,3日は真面目にやるのだが、それを過ぎると「夏休みの友・絵日記・自由課題(工作・昆虫採集・植物採集など)、学校に行っている時にもやらないことを、どうしてやらなければならないんだ?」という素朴な疑問が起こり、だんだん手付かずになる。
夏休み後半も、「まだ半月ある。」「まだ10日ある」「まだ一週間ある」と先延ばしになってしまい、結局1ヶ月以上の宿題を残したまま今日を迎えるのである。
結局今日一日でできるはずもなく、すべて提出し終えるのはいつも1週間後であった。
自由課題はしばらくの間教室に展示しておいたのだが、ぼくが出す頃には、その展示会はもう終わっていた。

そういうことで、今日は日記の提出が遅くなりました。



O君の思い出

今日帰宅途中、ふと「O」という男のことを思い出した。
前に勤めていた会社にアルバイトで来ていた男だ。
ぼくより7歳ほど年下だったが、なんとなくウマが合い、よく一緒に帰っていた。
というより、彼が車で通勤していたので帰りに送らせていた、といったほうが正しいだろう。
10数年前こちらのTNCテレビ西日本で、タモリが司会をする「子供病院をみんなの手で」という「愛は地球を救う」の走りのようなマラソン番組があった。
盛り上がりに欠け、タモリの芸だけで持っていたような番組だった。
その番組でタモリが「スタジオに遊びに来てくれ」と呼びかけ、だんだん人が集まっていった。
その中に「八幡から原チャリで来ました」とタモリに言っていた男がいた。
それが「O」だった。
彼の家からTNCまで60キロ以上離れている。
タモリもそれを聞いて感動し、それからタモリとOの付き合いが始まった。
Oはタモリから「いつか付き人にしてやる」と言われ、それまでの間ウチでアルバイトをしていたわけだ。

彼の車に乗ると、いつもタモリやビートたけしや所ジョージのテープがかかっていた。
たまにぼくが、オフコースなどのテープを聞こうとすると、「やめてください!そんなの邪道です」と言っていた。
本人はさほど面白い人間ではなかったのだが、雰囲気だけは持っていた。
1年ほどバイトをやっただろうか。
ある日、突然「今からタモリさんを迎えに行ってきます」と言って早引きした。
それから何日かして、彼はバイトを辞めた。
最後の日、ぼくはいつものように家まで送ってもらったが、「明日からこの席にはタモリが座るんか」などと思っていた。

タモリの付き人になった彼は、運転手をしながら「笑っていいとも」でポスター貼りなどをしていた。
「オールナイトニッポン」にも時々出ていた。
Oは、本当はお笑いの人間になりたかったようだ。
何度かオーディション番組にも出ていたようだ。
しかし芽が出なかった。
タモリもことあるたびにOのことを紹介しバックアップしていたが、結局Oは付き人以上にはなれなかった。

その後、夢破れたOはこちらに帰ってきた。
こちらの企業に就職し、そこで結婚したらしい。
タモリから祝電が届いていた、ということだった。

Oはどうしているんだろう?
彼はタモリの前はぼくの運転手だった。・・・と思う。



中年に義務教育を受けさせよう

昨日みたいなおっさんを作らないためにも、国にぜひやってもらいたいことがある。
25歳、35歳、45歳になる男女に義務教育を受けさせよう。
25歳は初等中年学校に編入し、中年の心構えを教える。
35歳は中等中年学校に編入し、中年生活のチェックと軌道修正を行う。
45歳は高等中年学校に編入し、理想の中年を作り上げる。
すべて男女共学の1年制で、その間は仕事をしてはならない。
とする。
「えー?この歳になってまた学校かあ」と思う人もいるだろうが、良い面もある。
25歳で独身の人は、出会いがある。
35歳で倦怠期の人は、出会いがある。
45歳でバツ1の人は、出会いがある。
「初等で失敗したけど、中等か高等でまた探せばいいや。それまで適当に遊んどこ」と人生を悲観しなくてすむ。
この効果で出会いサイトは止めざるを得なくなり、迷惑メールも減っていくだろう。
もう一度修学旅行に行ける、というのもある。
政府は「もう二度と経験できないと思っていたでしょう?でも、もう一度経験できます」というキャッチコピーが使える。
遠足もある。
体育祭もある。
もちろんクラブ活動もある。
中年野球もある。
3大紙で高校野球をやっていない読売が主催すればいい。
「読売新聞主催 第1回全国中年学校野球選手権」となるだろう。
青春に対し中春という言葉ができるだろう。
「中春を謳歌しよう」と言ったり、「中春時代」という歌が流行ったりして。
教科書や教材や学用品が必要となるため、その方面の業種が潤い、景気も少しは回復するだろう。
学校は廃校になった校舎を使えばいい。
公立だけでなく、私立も当然できるはずだから、少子化で困っているところには朗報となるだろう。
そうなれば、私立のいい中年学校に入ろうとする人間も出てきて、中年学校進学予備校もできるだろう。

なんだ、いいこと尽くしじゃないか。
ちなみにぼくは来年45歳なので、北九州市立八幡西高等中年学校に入学します。
さて、受験勉強は必要だろうか?



馬鹿か!

今日、本屋に行ってパソコン関連の本を立読みしていると、「パソコン入門の本はないかね。市のパソコン教室で使うんだけど」という声が聞こえた。
「こちらでございます」と店員がぼくの立っている横に案内してきた。
いかにも市の関係者といういでたちの50代のおっさんであった。
おっさん「教材はどの本かね」
店員「といいますと」
お「いや、市のパソコン教室はどの本を使っているのかね」
店「私どもは存じませんが・・・」
お「決まっているんじゃないのかね」
店「教室によって違いますから・・・」
お「市の教室だよ。市の」
店「わかりかねます・・・」
お「困ったなあ。市で使うのに。じゃあ、一般的な入門書はどれかね?」
店「機材はウィンドウズMEと98のどちらをお使いでしょうか? 」
お「一般的なほうだよ」
店「以前は98でしたが、今はMEが売られていますので、一般的なほうといわれましても・・・」
お「市で使うんだよ。市で。そんなことも知らないのかね」
このやりとりを聞いていて、ぼくは頭に来ていた。
ぼくの性格からしてそこにいると余計なことを言ってしまいそうなので、その場を立ち去ったが、まだ二人のやりとりは続いていた。

だいたい、この本屋は市のパソコン教室指定の本屋でもないのだから、買うほうがどの本か調べてくるのが常識だろう。
それを「市で使う本だから、当然どこの本屋でも知っている」と思うほうがおかしい。
「市のパソコン教室では、この出版社のこの本をテキストとして使います」と市政だよりや回覧板に書いていたのだろうか?
しかもどの機材を使っているかなんて、その教室に通っている人ぐらいしか知らないことじゃないか。
それにここは本屋であってパソコンショップではない。
自分の無知を棚に上げて、無理難題を吹っかけないでほしいものだ。
いくら市のパソコン教室のレベルが高くても、このおっさんは上達しないだろう。
わからないことを自分で調べるようなことはしないだろうし、自分の無知を教室のせいにするだろう。
そんな奴に上達はない。
おそらくこのおっさんは、ビデオも満足に扱えないのではないのだろうか?
公務員や大企業のお偉いさんには、この手の人が本当に多い。

しかし、この店の教育は行き届いている。
こんな客なのに、ちゃんと笑顔で応対していたし、言葉使いに何も落度はなかった。
ぼくが応対していたら、きっと顔色を変えムキになって「そんなに市のパソコン教室は偉いんですか?」とか「ちゃんと勉強してきて下さいよ」などと言っていただろう。



今日車を車検に出したため、久しぶりにJRで帰りました。

朝一番に「おはよう」と言ってカーショップの人が来たので、『なんだろう?』と思っていたら、「鍵」と言われた。
そうだった。忘れていた。今日は車検に出す日だった。
ということは、ちょっと困ったことになった。
今回の車検は代車を借りない約束をしていたので、帰りは公共の交通機関を利用することになる。
ところが今日は、いつものように会社に下着用の薄手のTシャツを着て行っていたのだ。
おまけに色も薄いグレーだったので腹が目立つ。
こんな格好でJR乗るわけいかん。
そこで隣の衣料品店に行きポロシャツを探したのだが、もう夏物が残り少なくなっており、いいのがないのだ。
ぼくは基本的にはオレンジ色やカラシ色、それも無地が好きなのだが、それがない。
あるのは薄いブルーやグレーの柄入り、胸のポケットにハイライトを入れたらにあいそうなものしかない。
中には派手な色もあるのだが、無地ではなくゴルフおやじが着るようなものばかりだ。
そこでポロシャツを諦め、Tシャツを探すことにした。
けっこういい色はあるのだが、サイズが合わない。
あるのはSサイズばかりだ。
「サイズはSでも、けっこう大きいよ」と店員がSを売りつけようとしたが、Lでも小さく感じるのにどうしてSを着ることができるのか。
とにかく店内にあるものを片っ端から探した。
「ナイキもあるよ」
「そんなんいらん」
いろいろ探した結果、「これは!」と思うのが見つかりました。
カーキ色の無地のTシャツ。
これならズボンの色にも合う。
値段も半額1000円になっていたので、これを買うことにした。

それにしても、会社からJRで帰るのは久しぶりだった。
会社から駅まで3キロほど歩くのだが、仕事帰りはけっこう疲れる。
先月の飲み会のときも歩いたのだが、あの時は休みだったし、酒も入っていたのであまり疲れは感じなかった。
その前に歩いたのは、一月の大雪の日だったか。
雪の中を歩くというのは、九州ではあまり経験のできないことなので、楽しみながら歩いたのを覚えている。
考えてみたら、今の会社に転職してから、普通にJR通勤をするというのは、今日が初めてではなかったろうか。
そんなことを考えながらも、悪霊にとり憑かれないようにと、お経を唱えながら帰りました。



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