頑張る40代!

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

2000年12月

縄文時代

考古学を無視して書いていきます。
縄文時代のイメージというと、「縄文土器、採集・狩猟」が主であろう。
縄文時代は一万年続いたといわれているが、一万年もの間、土器の製作や採集・狩猟だけの停滞した生活を送ったわけではないだろう。
なぜなら人間というのは、よりよいものを求める実験好きな動物だからだ。
そこには文学や芸術や科学もあったはずだ。
「何も残ってない」という理由だけで、原始時代だと決めつけてはならないと思う。
それは、「解明されてないから」という理由だけで、超常現象を否定するのに等しい。

縄文時代、今の歴史時代より遥かに長い年月、きっと今に残るものがあるとぼくは思っていた。
最近、ようやくその答が見つかった。
彼らは実に貴重な遺産を後世に残してくれているのだ。
それは、生命にかかわる一番大切なもの。 そう、「水」である。
彼らは彼らの科学で「山は樹を生み、樹は水を生む」という理を知っていた。
彼らは、いたるところに山を造り、樹木を植え、水を生んでいった。
(よく山に行くと、神社や祠を見かけるが、あれは造山や植樹の記念碑だとぼくは思っている)
それにしても、貴重すぎる遺産だ。
現代の浅はかな知恵で、破壊してもよいのだろうか?



『浦島太郎』・『江戸時代』

『浦島太郎』

浦島太郎伝説、もしかしたら本当にあったことではないかと思い始めている。
最近ある人から聞いた話である。
その人が幼いころ、一人の女の子が行方不明になったそうだ。
裏山に遊びに行ったまで情報を得られたので、町内あげての大捜索が行われたが、ぜんぜん見つからない。
二日が経った。
町内の人が諦めかけていたとき、山道をその女の子が降りてきた。
多少スリ傷などはあったが、いたって元気だった。
その子に事情を聞いてみると、「山に遊びに行って、ある女の子と出会った。その子と二時間ほど遊んでいたが、日が暮れてきたので帰ってきた。」ということだったらしい。
それを聞いて、浦島伝説もあながちうそではない、と思い始めたわけである。
そういうことって本当にあるんだ。 
ぼくは超常現象を否定しないから、素直にそう思います。

余談だが、竜宮城の乙姫様の衣装、昔から絵本等でイメージされている衣装のことだが、ぼくにはどう見てもチマチョゴリに見えるのだが…。


『江戸時代』

いろいろな本を読んでいてわかったのだけど、江戸時代は予想に反してわりと自由だったようだ。
獄門はりつけというのはめったになかったというし、思想も自由(キリスト教義を除いては)だし、町民は洒脱だし、生まれ変われるなら江戸時代がいいと思っている。
人々は日の出とともに起き、日暮れとともに眠る、そんな鳥みたいな生活をしていたようだ。
これが一番無理がなく、疲れないんですよね。
やはり江戸時代が一番だ!?
でもよく考えてみると、政治の中心地で見る今の時代区分方式で言えば、実は今も江戸時代なんですね。
おそらく何百年か後にはそうなっているだろう。



原爆

今の歴史が始まって以来最悪の出来事といえば、1945年8月6日と8月9日の米軍による原爆投下だろう。
このことに関して、米国は一貫して、戦争を早く終わらせるためとしていたが、何をかいわんやである。
日本人の中には「犠牲となった人には申し訳ないが、あれは仕方のなかったことなんだ。戦前誤った道を歩いていた日本を、米国が正しい方向に導いてくれたのだから。原爆はそのための一つの手・にすぎない」という人もいる。
騙されるな!! 
奴らは、属う種類の原爆を広島と長崎に降らせたんだよ。
これは戦争終結のためというより、実験じゃないか。
戦争終結のためなら、広島に落とした後に、「このまま戦争を続ければ二度目もあるぞ」と強く警告すればよかったはずだ。
日本の降伏後、上陸した奴らは広島と長崎に急行し、原爆が生態系に与えた影響を克明に調査したはずだ。
いや、今もまだ調査しているのかもしれない。

もう一つ言えることがある。
米国は日本人を動物と同等に見ていたということだ。
何十万人の人間を人体実験の尊料として使い、何も悪びれずおれるというのはそう思われても仕方のないことだろう。
とにかくドイツやイタリアには用いなかったのだから、少なくとも人種差別がそこにはあったはずだ。



未来の歴史

今から数千年後、今の歴史を失った後の話である。
ある考古学者が、我々の時代の地層を調べていた。
この学者は以前、その地層から偶然民家跡を発見し、そこから発掘された茶碗や湯呑を見て、この時代も縄文や弥生と同じく土器を中心とした生活が営まれていたとして、「陶磁時代」と名づけた有名な学者であった。
「なんだこの鉄の線は?」
見ると、二筋の鉄が道のように張り巡らされていた。
その後、その鉄の道は日本中いたるところで見つかった。
「先生、何でしょうか、この鉄の道は?」
「うん、私の判断したところによると、これは城壁の跡だと思われる。おそらく外からの侵入を防ぐための。」
翌日の新聞は大々的に発表した。
「あの鉄の道は、古代の城壁の跡だった!」と見出しの打たれた記事には、「この張り巡らされた鉄の道を見れば、その当時日本がいくつもの国に分かれていたことが理解できる」と書かれていた。
このことは学会に発表され、その後定説になった。
かくて我々の時代は、JRや私鉄の線路の発見のせいで、卑弥呼の時代と同じ扱いとなってしまった。

さて、その後その考古学者は、東京と名古屋と大阪と福岡に屋根付きの巨大な広場を発掘した。
「おお、これは古代の宗教の祭祀場に違いない。ここは神聖な場所だ。おそらくその当時の日本は大きく分けると四つの国に分かれていたのだろう。そして、その国の首都にはこういう大きな祭祀場がある、ということがわかった」
かくて、ドーム付きの野球場は、その学者のせいで宗教の場とされてしまった。


 ※現在の考古学では、何か施設が発見されると、軍事施設や宗教の場になってしまいます。
それ以外に人間の営みはなかったのでしょうか? 
もしかしたら、軍事施設とされているところは実は古代のテーマパークの一部で、祭祀場とされているところは古代の大宴会場だったりして。



十七条憲法

十七条憲法、どうして今の法律家や歴史家は、この憲法を重要視しないのだろうか。
三法-仏法僧-のことさえ解決すれば(つまり政教分離)、今でも十分に通用する憲法だと思う。
三法は、生きがい・教養・他人を尊重する、に置き換えたらいいだろう。
おそらく太子もその意思だったのじゃないだろうか。
伊藤博文の英独受け売りの安直な明治憲法、アメリカ押し付けの現憲法、どうしてこの二つだけを憲法としているのだろう。
どうして、わが国の聖人が作った尊い遺産を無視するのだろう。

漢の昔、かの劉邦が「法は三法」と言ったが、わが国の法は「和」のみでいい、とぼくは思っている。



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