2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧
妻の入れたコーヒーの 香りで夢を見終わって 妻の入れたコーヒーの 香りでゆっくり目が醒めて 妻の入れたコーヒーの 香りで朝に気がついて 妻の入れたコーヒーの 香りで今日を迎え入れ 妻の入れたコーヒーの 香りで心が落ち着いて 妻の入れたコーヒーの 香り…
二、三十代の頃は 他人のその後が気にかかり 誰がどこに勤めている 誰と誰と誰が結婚した 誰がどこに住んでいる という話題を肴に おいしい酒を飲んでいた。 四、五十代になっても 他人のその後が気にかかり 誰が出世している 誰の子がいい大学に入った 誰が…
夏に鳴く蝉の声は 街でも家でもどこででも 嫌というほど聞こえるが 春に鳴く蝉の声は 山とか森とか渓谷だとか そこに行かねば聞こえない。 物珍しさに触れようと思ったら 行動を起こさなければ どうしようもないってことだ。 ねえ、わかりましたか。 ちゃん…
自分のウンチの後始末をするネコ。
何が楽しいというのではなく 楽しくない場面がなぜか少ない。 だから長丁場でも堪えられるのだ。 不思議なことにそれをやっていると 何度もいい運に巡り会う。どんな 修羅場でも不思議と救いの主が現れる。 仮にそれを辞めたとしても 回り回ってまた同じこと…
今は寂れているものの かつて「吹く風通り」という街は 大きく栄えた街だった。 毎日が祭りのように人が群がり 涙と笑いの生活芝居を演じていた。 何で「吹く風通り」という名が付いたのか それには諸説いろいろあって 一番有力なのが、風向きに左右されて …
ぼくらの住んでいるこの街には かつて数多くのヨードチンキが並び のどを腫らした人たちが列をなして それを買いにやってきていた。 塗るとほんのり甘く、決まって 「ウェッ」となってしまうが それでも人々はヨーチンを われ先にと買いにやってきた。 それ…
一日に何十人いや何百人の人と すれ違っている。 そのほとんどが赤の他人で おそらくは初めて見る人たちだ。 だから心に引っかかりもなく スラスラと流れて行くのだ。 時には意味ありげに こちらを見ている人もいるが だいたいが人違いのようで 近くまできて…
さて、社会に出てから今年で三十年経つ。 ずっと客商売をやってきたわけだが 現在働いているところは 家から歩いて行けるくらいに 近い場所にある。 ここまで近いのは初めてだ。 一時間以上もバスや電車に揺られ 最後は走って職場まで 通っていたのがうその…
三ヶ月続いた仕事が一段落し その疲れを癒すために ちょっとした連休を取っている。 連休といっても 特別なことをするわけではない。 家でボーッとしているだけだ。 それで充分なのだ。 好きな本を読んで 好きなビデオを見て 好きな時に横になって 好きな時…
テレビや映画などで 他の国の宗教的な儀式を見ていると けっこう笑えるものがある。 そのことをするために、何で あんな回りくどいことを やらなければならないのか。 その行為がくどければくどいほど 笑いが出てしまう。まあ その国の人たちにとっては 真剣…
あっ、また二本足が来た。 今度は白い髪のおっさんだ。 奴らはオレの姿を見ると なぜか襲いかかってくるんだ。 若い女は「キャー、キャー」と 甲高い声をあげて襲ってくるし バアさんは「チッチッチ」と 舌を鳴らして襲ってくる。 ガキまでもがオレを見ると …
腰の痛みを抱えた状態で 二十年以上生きている。 腰痛のなり始めはかなり痛く 整骨院などに通うこともあったが そのうち痛みを散らす術を覚え 以来何とかやってきた。 痛みを散らす術とは 背骨の節と節の間にある痛みを 押しほぐす技である。 指がその場所を…
沈丁花の香りはマスクに遮断され 梅の花は雪の中に散っていき 桜の花は日曜を避けて終わった。 今年の春の経緯は、いちおう こういうふうになっている。 相も変わらず不安定な季節だ。 風邪とか花粉とか黄砂とか なごり雪とかに翻弄されて 今年も季節を楽し…
毎年春になると タケノコばかり食べている。 買っているわけではない。 いろいろな人がくれるのだ。 まあ、嫌いな食べ物ではないし 体にもいいものだから ビールやお酒のおつまみや ご飯のおかずにしている。 だけど、五月末までの おおよそ二ヶ月間 タケノ…
ギターの音を言葉に代えられないかと ここ数日試行錯誤している。 エレキギターだと 「ギャン」だとか「ジャン」だとか 「キュイーン」だとか「チャカ」だとか いろいろな音色があってけっこうむずかしい。 「チョンワ、チョンワ」という 花の応援団的な音も…
ナムカンノン この言葉を拾ったのは 浅草だったか、京都だったか はたまた地元の太宰府だったか。 確か人の溢れている場所だった。 その時は何もなかったのだが 拾って何年か経ってから ひょんなことからこの言葉が 口を突いて出た。以来 この言葉とたわむれ…
いつも、いつも、いつも、いつも ぼくはそこから抜け出そうとしている。 学生時代もそうだった。 社会に出てからもそうだった。 それが学校であっても、職場であっても 人間関係であっても、自分の殻であっても とにかく一つの場所に縛られたくないんだ。 お…
ぼくが中学生の頃 親戚にクリという犬がいた。 横須賀の久里浜生まれということで その名をつけられたのだった。 お米屋さんやガス屋さんを噛みつくわ そのくせ不審者が来ても吠えないわ まったく役に立たないアホな犬だった。 ただ子作りだけは励んでいたよ…
小学校二年生の頃、ぼくの家には デブという名のメスのインコがいた。 親戚からもらった鳥だった。 当初はつがいで飼っていた。 二羽は仲がよさそうに見えたのだが 実はそこには愛情なんかなく 体が大きく、意地の悪いデブが 相方を支配していた。そのうち …
小学校二年生の頃 近くにコロという犬がいて よくぼくの家に遊びに来ていた。 とりあえず家の前に座って 愛想よく尻尾を振っていたが 彼の魂胆は見え見えで 確実に餌をねだりに来ていたのだ。 そこで給食のパンの残りを あげていたのだが 彼はそれを食べ終わ…
窓の外に見える公園の 桜の花も散りました。いよいよ ビールのおいしい季節の到来です。 ぼくはこれまで発泡酒で 口を誤魔化してきたわけですが 最近は誤魔化しているのではなくて 発泡酒でなくてはならないのです。 ビールなら350ml一缶飲めば 飽きてしまう…
1, 確固たる自信のないまま生きてきたから どうもセルフイメージがよくない。 端から見ると、いかにも自信家で そつなく見えるかもしれない。 だけどそれは表向きを繕うために 編み出した、ぼくの忍法だ。 そうだ、みんなは誤魔化されているのだ。 ぼくは…
ここの赤信号はえらく長く感じる。 まだ二、三分も経ってないはずなのに もう三十分以上も停まっているような気がする。 おそらくはさっきから本線に車が通ってないから そう感じるのだろう。 こんな時、ぼく以外の人は どういう行動を取るのだろう。 信号を…
ぼくは結婚するまでに三人の女性を愛した。 実はその三人目とつきあった時に 彼女たちがこの星の人間でないのではないか という疑問を持った。 三人ともどことなく似た顔をして どことなく似た仕草をしていた。 ぼくはまずそこがおかしいと思った。 さらに彼…
「ゼロから数字を生んでやらう」という 高村光太郎の詩の一節が好きで、 以前から何かを生んでやろうと思っていた。 それがこの詩風エッセイの始まりで ぼくなりをぼくなりに試行錯誤して ぼくなりをぼくなりに表現してきたつもりだ。 その間に何度か手応え…
1978年4月のことだった。 キャンディーズの解散コンサートを テレビでしっかり目に刻んでから 桜前線を追うように ぼくは東上した。 東京駅で中央線に乗り換えて 降りた駅が新宿だった。 この街がぼくの東京デビューとなった。 まったく初めての街なの…
実際はもっと早かったのかもしれないが マンガ雑誌を初めて読んだ記憶というのが 今から四十五年前にある。 『オバケのQ太郎』目当てに買った少年サンデーだった。 それからサンデーを定期購読するようになり 『W3』や『伊賀の影丸』の活躍に胸躍るも 『お…
三月の疲れを一日で取ろうと のんびり静養していたら 熱とか咳とかが一気に噴き出した。 おまけに花粉も舞い上がり 今日はほとんど病人だった。 鼻は詰まり痰は重く絡まって まともな声をなしていないし いったいいつになったら歌を うたえるようになるのだ…
「レジャーモービルの女」 というタイトルの歌がある。 もう三十年以上も前の歌だ。 自分で作った歌なのだが 最近その歌にはまっている。 車に乗っている時は いつもその歌を聴いている。 ブログの更新時にも聴いている。 お風呂で鼻歌も歌っている。 別に古…