吹く風

いろんなことに悩む暇があったら、さっさとネタにしてしまおう!

大将


「大将!」
周りを見回しても誰もいない。
そこにいるのは、ぼくだけなのだ。
しかたなく、「はい」などと返事をしている。

いつの頃からだろう、ぼくが「大将」と呼ばれるようになったのは。
ぼくの持っている自分のイメージは、決して「大将」ではない。
だから、「大将」と呼ばれるたびに、「大将と呼ばんでくれ」と思っている。
ぼくは「大将」と呼ばれるほど立派な人間でもないし、またいかにもそれらしい風貌をしているわけでもない。
「大将」と言われて思い当たるのは、いかにも立派な白髪頭だけである。

とにかく、ぼくのことを「大将」と呼ぶ人は、圧倒的に年配の方が多い。
最近ボケ始めた、床屋のおばちゃんからもそう呼ばれている。
ぼくのほうが年下なのだから、「兄ちゃん」と呼んだほうがより自然である。
なのに、いつも「大将」なのだ。

ぼくは「大将」と聞くと、つい『ひみつのアッコちゃん』に出てくる大将を思い浮かべてしまう。
おそらく、ぼくと同じ世代の人の半分は、そう思うのではないだろうか。
ぼくは、その大将みたいに太ってはいないし、またデベソでもない。
いつも「大将」と呼ばれるたびに、アッコちゃんの大将を思い浮かべてしまうのだから、たまったものじゃない。

心の法則からすると、人は心に描いたとおりの人になるらしい。
このまま、「大将」と呼ばれてばかりいると、アッコちゃんの大将みたいになってしまうかもしれない。
頼むから、そういう余計な連想をしてしまう「大将」などという呼び名はやめてほしいものだ。

Jhon Wesley Hardingを聴いている


 車の中で、はっぴいえんどのアルバム「風街ろまん」を聴いていたのだが、10曲目の『颱風』のイントロのハーモニカの音を聴いた途端、ボブ・ディランのアルバム「Jhon Wesley Harding」が聴きたくなり、切り替えた。

 高校時代からそうなのだが、ぼくは冬になると、なぜかボブ・ディランが聴きたくなる。そしていつも聴いている。もう50年以上もこれを繰り返しているのだ。ちなみに秋はビートルズだ。春夏は特にない。

 さて、そのアルバム「Jhon Wesley Harding」だが、これと言って好きな曲があるわけではない。強いて上げるとすれば『見張塔からずっと』ということになるだろうか。ぼくはそのタイトルでこのブログの記事を書いたことがあるわけで、いちおう意識はしている。

見張り塔からずっと - 吹く風ネット

「いつの頃からだったろう、君の存在に気づいたのは」(またその話か)「いや、今日こそははっきりしておきたいんだ」(別にそんなことどうでもいいじゃないか)「じゃあ、...

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 ではそこまでお気に入りの曲がないのに、何でこのアルバムを聴きたくなったのかというと、このアルバム全体の雰囲気が好きなのだ。アコースティックギター、ハーモニカ、ベース、ドラムだけのシンプルな楽器構成で何か落着くんだな。下手なエレキギターで音楽を乱してないのがいい。




缶けり


1,
体重が徐々に増えてきている。2年前に62キロまで落としたのだが、現在70キロ、腹も少し出てきたようだ。いまだに朝食抜きを続けているし、運動量も増やしたつもりだが、どうしてだろう?

やはり、家の中でゴソゴソやるだけではなく、子どもの頃のように外で遊ばなければならないのだろうか?

2,
そこで、「子どもの頃、どんな遊びをしていたのだろう?」
と色々と思い返してみた。パッチン(メンコ)、ダンチン(ビー玉)、野球、Sケン、缶けり等々。
パッチンやダンチンは別として、他の遊びは、動きもあるし、頭も使う。
おそらく、子どもの頃は、そういう遊びをやっていたから太らなかったのだろう。

3,
缶けり。最後にやったのは18歳の頃だったかな。今やったらおかしいだろうか?
いやいや、60代で缶けりやってどこがおかしい。それなりの準備運動をやって臨んだら、怪我のリスクも減るだろうし、それなら誰にも迷惑かけないだろう。

人を集めて、缶けりやろうかな?

家の中の諸風景


『怪人』

こういうのが、家の中にいるのです。
カランに付いていた水滴が顔のように見えたので、撮ってみました。

『日本の原風景』

絵画のように見えるのですが、実はこれ、ぼくの部屋からスマホで撮ったもので、網戸を通して写したらこうなりました。

『〇〇くん』

何年か前に、家の網戸に止まっていたのを撮ったものです。
何という虫なのかは知りませんが、この顔のような模様が、〇〇くんの顔に似ているので、ずっと保存しています。

月刊誌


 あるホームページを見ていたら、「少年」「少年ブック」「ぼくら」「冒険王」「少年画報」という名前が、目に飛び込んできた。これを見てピンとくる人は、60台半ばを超えている人だろう。

 知らない人のために言っておけば、これらはぼくが小学生の頃に読んでいた、月刊誌(漫画)の名前です。

 これらの月刊誌は、今の月刊誌と違って、豪華な付録がついていた。予告には、
「来月号は豪華10大付録付き」などとなっていた。たとえば、日光写真なんかはいつもどこかが付けていたものだ。

 その他いろいろな付録があったが、ぼくが一番嬉しかったのは別冊本だった。本誌の連載マンガが、別の内容で1冊の本になっていたのだ。(たまに「別冊に続く」と、本編の続きになっている場合もあった)

 そういう別冊本を持っていたら、今かなりの価値があるのだろう。そう思うと、今となっては、あの時捨てた「ビッグX」が惜しい。

ふんどし思春期


中学の頃だった。
日本人なんだから
日本人らしくしなければ
と思い立ち、フンドシ着けて
学校に行ったことがある。

その頃はまだデパートなどでも
フンドシは売られていたが
さすがに買うのは恥ずかしく、
家にあった手ぬぐいを自分で
縫って作ったものだった。

フンドシ、最初は
ゴワゴワして気持ち悪かった。
だけど慣れてしまえば
何ということはない。
気がつけばフンドシを
着けていることを忘れていた。
おそらく生まれて初めての
パンツもそうだったに違いない。

おせち料理


おせち料理、これまでいつも母が用意していた。ところが、来年の分は野暮用があり出来ないという。
じゃあ、こちらで用意しようということになったのだが、今までおせちのことなど関心がなかったので、どこで買っていいのかわからない。さらに相場もわからない。

ということで、ネットで調べてみた。有名どころはどこも高い。早期に頼めば少しは安くなったようだが、それでも1万円を切るような店はなかった。

「価格が高いのなら、味のいいところにしよう」
ということで、これまで食べたレストラン等で、おいしかった店をピックアップし、最終的に3万円台の店と2万円台の店の2店に絞った。どちらの店も最近食べたことのある店だし、味の方は心配ない。

夫婦でいろいろ検討した結果、2万円台のおせちを選ぶことにした。
元々おせちを予定してなかったので、2万円の出費はただでさえきつい。それに1万円以上(実際は1万7千円)増えるとなると、完全に日常生活に影響する。というのが、選んだ理由だ。

ということで、わが家の2025年は、2万円のおせち料理から始まる。